2012年2月23日木曜日

2.僕は卒業アルバムに写真が載っていない


ゲームが一番上手くて金持ちの「いけやん」
暗い性格の癖にギャグがめちゃくちゃ面白い「マコチ」
スポーツマンなのにオタクの「トオル」
ムードメーカーで周りに気が利く「山ちゃん」
変態の「シュウヘイ」

僕らはいつも一緒だった。

近くの工場へ忍び込んで「キャッツアイ」カードを置いてきたり、車の助手席からDIO風に飛び降りて見たり、落ちてくる葉っぱを片手で何枚取れるか競ったりと、いつもくだらない遊びばかり。

夏休みにも男同士で集まって泊まりがけで海水浴にいき、休日も電車で京都市内まで出掛けてゲーセン巡り、好きな子はそれぞれいたけれど、恋愛に奥手だった僕らはクリスマスも男友達で鍋を囲んだ。

毎日のようにゲーム好きの友達と一緒にいて、初めの頃はこれから先どんなゲームが出てくるのかって話をしていたのが、だんだんと「みんなでゲーム作ろうぜ」等といかにも高校生らしい話題が出るようになっていく。

友達と企画していたのはこんな内容。
世界で一番強い奴を決める格闘アクション。
登場人物は自分達。
ゲーム内容はまったくなんの工夫もないファイティングストリートのパクリ企画。
詳細はよくわからないが、タイトルだけは決まってて「激ファイト」
タイトルもファイナルファイトのパクリだ。

そんなに簡単にゲームが作れる環境があるわけでもないので、実際に作れないのはみんなわかっていたけれど、事あるごとに話を持ち出しては、自分で考えた必殺技を披露して見せては笑い転げる。

高校2年になると就職希望者と進学希望者でクラスが別れる。僕が選んだ就職希望者のクラスでは、成績が少しくらい悪くても、少々欠席が多くても特に怒られるようなこともなかった。

仲の良かった友人ともクラスが変わり、好きな女子も違うクラスだったので、学校へ何の為に通ってるのか、だんだんわからなくなって、いつも放課後が待ち通しかった。

僕がいたのはいわゆる落ちこぼれクラスってやつだろうか。問題児が多く、先生も熱心ではなかった。

そんな風だったので朝にはちゃんと家を出て、登校するのだけど、ゲームソフトやゲーム雑誌の発売日には午後からサボるのが日常となっていった。
体育祭や文化祭の日には、親が出掛けている友人の家にいってゲームをしていた。
だから、学校行事に写っている写真も少なかった。

その頃から一緒に遊ぶ時間が減っていた友達がいた。それは山ちゃんだった。就職組で先の事など深く考えもせずに、毎日ひたすらゲームに浸っていた僕とは違い、彼は進学組で大学受験のためにちゃんと勉強をしていたのだ。

山ちゃんは、友人達の中でも特に長いつきあいで、残っている記憶で一番古いのは小学一年生と時。

小学生の頃、僕は背が低くて背の順で並ぶといつも一番前になった。山ちゃんと僕は違うクラスだったが、彼も背が低かったのでクラス合同の授業ではいつも隣同士になった。

だから運動会では同じ列で一緒に走ることが多かった。
勝敗の結果は覚えていないが、僕は山ちゃんにライバル心を抱いていて、子供心に負けたくないなと思い何かと競いあった。

小学校の頃はクラスが違うこともあり、それほど親しくはなかったのだけど、中学生になってから漫画やアニメの趣味があうことがわかり、PCエンジンを持っていたことがきっかけでよく一緒に遊ぶようになっていった。

高校3年になり、受験勉強の合間にアルバイトもこなす山ちゃんと、いつまでも友達とつるんで遊び呆けている僕。差がありすぎて小学校の頃に抱いたライバル心も完全に消え失せていた。

就職を決める時期がやってきても、僕は危機感のない状態で、いくつかの求人書類の中に近くの電気屋チェーンの入社面接があったので「これでいいかな」程度に考えていた。

夏休みになりスーパーファミコンの発売が近づいてくるとゲーム熱はさらに加速し、僕はさらにゲームの世界に没頭した。

高校3年の二学期、山ちゃんと僕は学校で顔を会わす程度になっていたが、廊下ですれ違う時には、必ずお互い手をあげてパーンと叩きあった。それがいつもの二人の挨拶だった。

3.僕はスーファミが欲しかったわけじゃない。