2013年1月18日金曜日

アルカナハート回想録3

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【ゲームシステムを考える】
新作格闘ゲームの製作が決定した。

アーケードゲームの売り上げは下降線を辿り、格闘ゲームというジャンル自体が廃れていっている時勢、ほとんどの企画がこの製作決定前に企画倒れとなる事を考えれば、この時点で一番の難関は乗り越えることが出来たようなもの。そう思いました、この時は本当に。

さて、ここまで来て、ようやくゲームの内容を詰めていく作業に入れます。
クライアントの要望をいくら取り入れたところで、格闘ゲームマニア層に指示されないようではゲームでは売り逃げして終わりになってしまう。

それじゃ、せっかくのチャンスも逃してしまうって事で、格闘ゲームの内容についてはかなり考え込みました。 幸い、ゲーム性についてはクライアントも口を出してきません。

おおまかな世界観は決まっているので、まずは世界観に合わせた基本システムの組み立てです。 
学園の設定とか守護聖霊とかはぁとの性格とかが出来てくるのは最後の方ですね。いわば後付け。

とりあえずターゲット層を再確認。
一番、重要視しなければいけないのはコアユーザー。
もう、これだけははずせない。

しかし、全員女キャラと言うわけで、本格的な格闘ゲーマーはそれほど多く遊んでくれないだろう。どちらかと言えば、アニメファン層に受け入れてもらいたい。
そもそもが、メルブラの二番煎じ企画なので、ターゲット層は大体をこの辺りを中心に、格闘ゲームを遊んでいる人たちになるだろうと予測。

次は、どういう方向のゲームにするかをざざーっと考えてみます。作りたい、遊びたい、求められてる、と思ったものをとにかく思い付くまま出してみたんですね。

格闘ゲームは大きく「コンボゲー」と呼ばれる、連続技を気持ち良く繋げていき、大ダメージを与えるタイプの物と、「差し合いゲー、読み合いゲー」と呼ばれる、対戦相手との、心理戦を重視した物に大別されます。
既存の格闘ゲームは、このどちらか、もしくは、この二つの要素を上手く取り入れてゲームデザインされており、後期の作品になるほどコンボゲーの比率が高まっています。

時流とインカムを考えれば、当然コンボゲーになるだろうと考えました。個人的には差し合いのゲーム性は大好きですが、対戦相手との読みあいが重視されるゲームは往々にして、CPU戦がつまらなくなりがちです。
CPU戦がつまらないと一人用が遊ばれなくなるので、対戦も発生しづらくなりインカムが上がりません。
ゲーセンからすれば、どんなに面白いゲームでもインカム、つまりお金が入らなければ必要ない物になります。

なので、おのずと一人でも練習ができるコンボ要素を入れることになっていきます。 
それならば、いっそコンボが気持ちよく繋がりまくるようにしてはどうかと発想しました。
このあたりで、既存の格闘ゲームで出来ることはなんでも出来てしまうゲーム性はどうかと考え始めます。

ダッシュ、ラン、2段ジャンプ、スーパージャンプ、空中ダッシュ、打ち上げからの空中コンボ、必殺技キャンセル、バースト等々。ありとあらゆる格闘ゲームの要素が入っていて、しかもゲームとして成り立っている。言ってるだけでもかなり無茶な企画ですね。

ここまでで「全員女キャラ、学園物、素手格闘 、コンボゲー、なんでも出来ちゃう」等ゲームを構成する大まかな要素がでてきて、ゲーム全体の大枠が見えてきました。

次回は「格ゲーヒット作 7つの法則」について書いてみます。

続く

2013年1月15日火曜日

アルカナハート回想録2

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【企画を詰めていく】
今回はアルカナハートの企画を進めていく話です。

企画の立ち上げは出来る限りクライアントの意向に沿うようにと進めていくので、アルカナのキャラは「萌えが好き」とか「スタッフの趣味」とかで出来た訳じゃないんですね。結果的に、非常にいいスタッフに恵まれて少々クセのあるキャラ達にはなりましたが。

全体の方向性が決まるまではわりと早かったのですが、本格的な作業に着手するまでは結構な時間がかかってしまい、他の業務と平行して半年くらいなんだかんだとアイデア会議を繰り返してました。

この時点で、3本立ち上げた内の「中世ファンタジー路線」の企画を担当していたメインスタッフの一人が退職してしまいます。元々退職の意思は聞いていたので、担当企画が落ちたことで残る理由はなくなったのでしょう。
すごく優秀な人だったので、彼がいればかなり違ったゲームになっていたと思います。

最初の企画書では、サムスピの実績があると言うことで全員が武器を持ってたんですが、クライアントからの「武器格闘と言うのは売りずらい」という意向で、素手格闘に路線変更となりました。

実際、あの当時は武器格闘はヒット本数が少なかったので、まぁ致し方ないかと思い承諾し、企画を通す為、主人公を素手にしました。実は武器持ちキャラの方が多いのですが、主人公だけ素手にすれば素手格闘に見えてしまうと言うごまかしですね。


全員女性キャラというコンセプトに関しては、当時、格ゲーの人気上位キャラは、ほぼ女性キャラで埋め尽くされていたので、いろんな格闘ゲームの女性キャラに似せて、ゲームを作れば確実にプレイしたい層はいるかなーと考えました。

ところがクライアントの担当者がキャラ案の中の「きら」を非常に気に入ってしまったんですよ。
よりによって「きら」! その流れで他のキャラもテニスラケットで戦うとか鞄で叩くとか、学園のりのギャグっぽいアイデアが出てきちゃったんですね。
しかし「きら」みたいなキャラは全体のなかで浮いてるからいいキャラになるのであって、全部が全部あんなキャラだったらそれこそ、ただのギャグ路線になってしまう

いくつかの前例を振り返ってみても、ギャグ路線の格闘ゲームを遊んでもらうのは、それはもう難しい。

それでどうしようかということで、とりあえず主人公は学生にしようと。先程もあったように、ほぼ主人公のデザインで、ゲーム全体のイメージとい言うのは固定しますから、主人公のデザインだけはなるべくクライアントの要望にあわせようかとなるわけです。

たとえばストリートファイターならハチマキと胴着の主人公が「俺より強いやつに会いに行く」となっていれば
「格闘家が闘うゲーム」のイメージで定着しますが、キャラ全体でいうと、その大半は変なインド人だったり、獣人だったり変なやつばっかりですよね。

なので、一見、学園物で明るい雰囲気で、見ようによってはギャグにも見える風に工夫しました。ラケットだの鞄だののアイデアは、他のあまりヒットしなかったゲームの例を出して、見送りにしてもらいました。

しかし、基板の流通業と言うのは、古い体制が残っている部分が多くて、インベーダーゲームの頃に創業した方々が今だ現役でがんばってらっしゃる事も多い。先程の要望のあった学園ネタも昭和の香りがするんですね、だから販売先に説明がしやすい。

しかも、クライアントの会社は社長の力が非常に強く、社長が一言「これがいいんじゃいか」と言うと、社員全員揃って「その通りです!」って言うような社風で、流行りのデザインを持っていってもわかってもらえない。
担当にわかってもらったとしても、結局没になる。

そこで「電車男」です。

当時、ちょうどテレビドラマや映画の宣伝で「萌え~」を連発して、いかにも流行ってます!といった宣伝をしていたんですよ。

最初に萌えを言い出した人達や、本スレ追いかけてた人たちは、当然その先に行ってるので「今さらメイドだの2ちゃんねるだの言われてもなぁ」という覚めた感じでしたが、世の中の大半の人はあれでブームになって萌えを知っちゃった。


そうすると、今は「萌えがブームだ!」っていうのは、やっぱり売りやすいんですよね。なので、全キャラにわかりやすい要素をぶっこみましょうと。我々からすると完全にギャグで出した提案なんですが、営業担当は本気で受け取ってくれました。

というわけで、キャラの方向性が確定したんですね。

正直なところ、この時点では企画内容に不安もあったのですが、
「大ヒットは見込めないが、ニッチ層にある程度は受け入れられるので大失敗はしないだろう」という思いと、「次の仕事が決まっていないので、業務が継続できるなら早く決めてしまいたい」という焦りから仕事に着手することになりました。

ここまでくれば、最低限の取り決めを守りつつ、後はある程度自由に作って良い訳です。

やはりオリジナルの格闘ゲームタイトルを作れるとなると気合いも入ります。これまで何度も何度も新企画を作っては、没になっての繰り返しだったものだから、見た目はナンパでも格闘ゲームとしては骨のあるものにしたい。

こうして、本格的な製作に入ることとなりました。
続く

2013年1月9日水曜日

アルカナハート回想録1


これを書いている時点で、アルカナハートは多くのファンに愛されて、実質6作目となるLOVEMAX!!!!!も発表され、私としても心から嬉しく思っています。
最初に企画を立ち上げた時には、ここまで愛されるシリーズになるとは想像もしていませんでした。

ここで、アルカナハートを立ち上げた頃を振り返って見るのもいいかなと思い、ブログを書き始めてみました。
開発の話なのでキャラのファンにはあまり面白くない内容かもしれませんが、開発に興味のある方には楽しんで頂けるのではないでしょうか。

このブログでは、立ち上げから完成までの経緯や思ったことを綴るつもりですが、あくまで私視点ですので、当時のスタッフからしたら、それは違うだろ!と言われたり、私の記憶違いもあるかもしれません。
数年前のことですし、出来事には多面的な視点があるので、そのあたりはご理解の上読んでください。

では、アルカナハート回想録、始めまーす。

【企画の立ち上げ】
アルカナハートの企画が立ち上がったのは、天下一剣客伝のアーケード版の開発が一段落した頃でしょうか。

アーケード用の商品を販売している大手販売代理店から「新作アーケードゲームを作って欲しい」ってオーダーがあったんですね。その時点で何本か格闘ゲームの企画を進めてはいたのですが、次の仕事が決まっていなかったので、これはチャンスだと思い打ち合わせに赴きました。

話を持ちかけてくれた会社は「サムライスピリッツ零」の販売も扱っており、これが思いがけずヒット商品となったことで次の商品を自社で扱いたいって話が出てきたわけです。

「それならば、いくつか格闘ゲームの企画を作ってみます。」というわけで、当時の開発スタッフを3つのチームに分けて、3本の企画を立ち上げました。
それぞれの企画にリーダーを決め、私が担当したのは「古代遺跡格闘」でした。

で、3つの企画を持ってクライアントへ打ち合わせに行くと、当時「メルブラ」や「鉄拳4」が流行っていたので、とにかく似たようなゲームを作って欲しいって言うんですよ。

クライアントは営業の会社で一枚20万以上もする基盤を何百枚と売らなければいけない。そうすると当然「売りやすい」見た目や、店舗に説明がしやすい売り文句が必要になる。一番、売りやすいのが「儲かった○○みたいなゲーム」の一言です。そうすると、当然、市場には似たようなゲームが溢れるわけですが、売り手買い手がいないとゲームを作れないわけですよね。

鉄拳のような3D格闘は機材もなければ、スタッフのスキルも向いていない。そういうわけで「全員女性キャラ」と言うコンセプトの企画が、メルブラに似ていて非常に売りやすいということで採用となり、アルカナハートの原型になりました。

(以前、サムスピを手掛けていた事で「ナコルルが出る女性だけの格闘ゲーム」と言う無茶な注文もありましたが、さすがにそれは版権を無視し過ぎていると苦笑いで断りました...)

続く

2012年3月1日木曜日

4.その名は仁義ストーム


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あれから15年。
ドッター職を経て、ゲーム企画職となっていた私はアルカナハートという対戦アクションの製作をおこなっていた。
今ではそれなりの知名度があるタイトルだが、開発中はかなり肩身の狭い状態だった。
というのも、製作途中で投資元の会社が倒産、完成まで開発資金が続かない状況になっていたのだ。
しかも営業担当からは売れる商品だと思われていなかったので開発中断は時間の問題だった。

そんな状況の中、資金作りの為、急遽立ち上がった仕事があった。
それは、ほぼ完成まで仕上がって発売中止となったソフトに手を加え、短期間、低予算でゲームを一本作るというもの。
実はこの企画、半年ほど担当者がいないまま放置されていたのだが、状況が状況なだけに、私は仕方なくこの仕事を引き受けることにした。

しかし、考えてみればなんのしがらみもなく、好き勝手に自由にゲームをつくっていいなんて事はそうそうあるものじゃない。

スタッフと一緒に考えを巡らせた。
ゲームの根幹は出来上がっている。ゲーム性を深く作り替える余裕はない。
出来ることといえばキャラの乗せ変えくらいか。

それほど多くを売る必要もない。が、まったく売れなくては本末転倒。ならば一定層にだけ強力に支持される方向性が良さそうだ。

いくつかのアイデアの中から「世界中の悪役が闘う」という、一般受けはしないが、一定の人気が取れそうなわかりやすいコンセプトでイメージが固まった。

グラフィックは同年代の格闘ゲームには到底及ばない、ならば別の方法で人目を引くしかない。
いつの時代にも普遍の要素といえば、やはり色気だろう。
そうだ、色気のあるイラストをステージ毎のご褒美イベントとして表示すれば、モチベーションも上がるんじゃないだろうか。

待てよ、だが、この重要な部分のイラストを描いている期間がない。
ならばオムニバス形式で複数のイラストレーターに依頼してはどうか。

しかし、脱衣要素のあるゲームで対戦プレイが成立するのだろうか?対戦にならなければ、インカムも伸びない。
それならば、対戦時しか出ないグラフィックがあればいい、しかも、より短時間で、より多く倒す方がより過激なイラストを見れるようにしてみよう。ならば、対戦の結果をゲージ量で見せて脱衣のレベルをわかりやすくしよう。

数多くの問題点をアイデアでカバーしながら開発は進行していった。

2006年、短い期間と少ない予算という逆境の中、わずか3ヶ月で製作されたこのゲームは発表された。
その名は「仁義ストーム」

開発の間、私は睡眠時間を極限まで削り作業に没頭した。
このゲームには魂を込めるだけの理由があったから。

主人公の名字は山ちゃんから拝借した。
志半ばで不慮の事故で未来を奪われた彼。
しかしきっと目指したものがあったはず。

名前は「荒ぶる志し」と書いて荒志(あらし)と名付けた。他のキャラクターもあの頃、一緒に遊んだ友人たちの名前をもじってつけた。

仕事として商品を作る以上、クライアントの意向を最大限取り入れる必要がある。しかし、ゲームは商品であると同時に作品でもあると思う。魂を入れられる場所がなければ、自分がゲームを作る理由もない。

このタイトルはユーザー人気としては失敗だろう。商業的には次のタイトルに繋いだと言う意味では成功と言えなくもない。しかし、もう一つの意味で私にとってはかけがえのないタイトルになった。

久々の帰郷で私は友人たちと山ちゃんに報告した。
「激ファイト、完成したよ」と。


~おわり~

2012年2月28日火曜日

3.僕はスーファミが欲しかったわけじゃない。

9月20日。
スーパーファミコンの発売を目前に迎えたその日も僕は普段と変わらず登校した。
廊下でふと、真っ赤な顔をしている友人が目に入る。
いつもはあまり表情をかえない友人が、なにかをこらえるように押し黙っている。
僕はいつもと変わらず声をかけたのだけれど、友人から帰ってきた言葉は思いがけないものだった。

「山ちゃんが死んだ」

一瞬なにを言ってるのかわからかったが、その表情から冗談をいってないことだけはすぐに理解できた。

そのまま、担任のところへ走っていってたずねると「あぁ、可哀想にな」とだけつぶやいた。
後でわかったことだが、山ちゃんは大学受験に車で向かう途中、前方の大型トラックの荷台から落ちてきた木材がフロントガラスを突き破って頭に直撃したのだという。
即死だったらしい。

あまりの突然の出来事に僕は混乱し、いろんな考えが頭のなかをグルグルと巡りめぐった。
「ネクロスの要塞をまだ返してもらってないじゃないか」
「昨日、渡り廊下ですれ違ったばかりだろ、いつもの合図したやん、目があって笑ってたやん」
授業開始のベルがなっても教室には行かず校内を彷徨った。
溢れ出る涙を見られないようにと、水飲み場で顔を洗っていたとき、生徒から怖がられている体育教師が注意しようと話しかけてきた。
が、僕の泣きじゃくった顔を見て、先生は何もいわずに去っていった。
先生なりの優しさだったのだろうが、そのいつもと違う態度で、山ちゃんが死んだという現実を思い知らされた。

休み時間に友人たちとあっても、みんなまだ信じられない様子でみんな何も言わずにただ一緒にいた。

午後からは美術の授業。
この授業はクラス合同で、偶然に好きだった同級生と隣の席になる。それが楽しみで、いつもは必ず出席していたのだけどこの日だけはやはり憂鬱な気分だった。
それでも少し気持ちも落ち着いてきた僕はその授業からは出席することにした。

何気ないように彼女に話しかけようとしたのだけど、言葉が思い付かず気がついたときには、もう涙が流れていた。
その子に泣き顔を見られるのが嫌で、美術室を飛び出した僕は自転車を走らせて10分ほどの自宅まで帰った。

その日はとてもいい天気で隣の人が洗濯物をほしながら「あら、どうしたの?」と声をかけてくる。
僕は無理に笑顔を作りながら、なにげなく「ちょっと忘れ物」と言って家に入った。

清々しいほどの青空と隣のおばさんの能天気さと、今の自分の暗い気持ちのギャップが何故か可笑しかった。

僕は部屋においてあったアルバムから山ちゃんの写真を取り出すと、すぐに学校へともどった。
授業はまだ続いていた。先生はやはりなにも言わなかった。

ちょうど卒業製作の製作を始める時期で、授業内容はそれぞれテーマを決めて一枚の絵にするといった内容だったと思う。僕は書きかけだったキャンパスの下書きを全部消すと、写真から山ちゃんの顔を描き写し始めた。

子供の頃から落書きは好きだったけれど、本気で絵描きを目指していたわけではなかったし、真面目に美術の勉強をしたこともないので、つたない画力ではあったが必死に描き続けた。
あんなに必死になって絵を描いたのは初めてだった。

翌日、僕は電車で遠方のゲームショップへ出掛け、何ヵ月も前に予約をしたスーファミを手にいれた。その帰り道、同じ席に乗り合わせたおじさんたちが話をしているのが聞こえた。

どうやら山ちゃんのことを話しているらしい。話の内容からアルバイトをしていた寿司屋のお客さんのようだった。
真面目に働く少年だったとか、大学目指していたのに可哀想にな、とかそんな内容だった。

その日は遊び部屋には友人達が来なくて、一人でスーファミを遊んだ。
でもスーパーマリオワールドを遊んでも、エフゼロを遊んでも、喜びも楽しみも感じなかった。

そうなんだ、僕はスーパーファミコンが欲しかったわけじゃない、みんなでゲームを遊びたかったんだ。
その時、自分のやりたい事がはっきりとわかった。

「ゲームをつくりたい」

わかったというよりも、そうしなければいけないと思ったという方が正しいだろうか。
気の会う友人が集まって時には本気に、時には笑い転げながら遊ぶ、そんなゲームが作りたい。

それから本気でゲーム会社に就職する方法を考え続けた。
やりたいことがあったはずなのに突然の事故でそのすべてを失った山ちゃんと、目標も持たずに生きてきた僕。

思い返してもても、山ちゃんが将来やりたかった事の話を聞いた記憶がない。僕は将来の話をする相手にふさわしくなかったのかもしれない。

数日後に葬儀が行われた。
友人たちも少し落ち着いた様子で、山ちゃんが気に入りそうな冗談を言い合った。
「たぶん、アルデバランみたいに他のキャラに混じって復活すんだよ」
「そうだ、王大人なら治せるんじゃね?」
「俺、ドラゴンレーダー作るわ」

その日はなにか現実味がない感じですぎていった。
最後にみた彼の顔はキレイだった。

彼のお墓は町全体を見下ろせる小高い丘に作られた。
僕は卒業製作を描き上げると、空いたスペースに彼へのメッセージを書き込んだ。

そして僕はデザインの専門学校へと進学した。

4.その名は仁義ストーム

2012年2月23日木曜日

2.僕は卒業アルバムに写真が載っていない


ゲームが一番上手くて金持ちの「いけやん」
暗い性格の癖にギャグがめちゃくちゃ面白い「マコチ」
スポーツマンなのにオタクの「トオル」
ムードメーカーで周りに気が利く「山ちゃん」
変態の「シュウヘイ」

僕らはいつも一緒だった。

近くの工場へ忍び込んで「キャッツアイ」カードを置いてきたり、車の助手席からDIO風に飛び降りて見たり、落ちてくる葉っぱを片手で何枚取れるか競ったりと、いつもくだらない遊びばかり。

夏休みにも男同士で集まって泊まりがけで海水浴にいき、休日も電車で京都市内まで出掛けてゲーセン巡り、好きな子はそれぞれいたけれど、恋愛に奥手だった僕らはクリスマスも男友達で鍋を囲んだ。

毎日のようにゲーム好きの友達と一緒にいて、初めの頃はこれから先どんなゲームが出てくるのかって話をしていたのが、だんだんと「みんなでゲーム作ろうぜ」等といかにも高校生らしい話題が出るようになっていく。

友達と企画していたのはこんな内容。
世界で一番強い奴を決める格闘アクション。
登場人物は自分達。
ゲーム内容はまったくなんの工夫もないファイティングストリートのパクリ企画。
詳細はよくわからないが、タイトルだけは決まってて「激ファイト」
タイトルもファイナルファイトのパクリだ。

そんなに簡単にゲームが作れる環境があるわけでもないので、実際に作れないのはみんなわかっていたけれど、事あるごとに話を持ち出しては、自分で考えた必殺技を披露して見せては笑い転げる。

高校2年になると就職希望者と進学希望者でクラスが別れる。僕が選んだ就職希望者のクラスでは、成績が少しくらい悪くても、少々欠席が多くても特に怒られるようなこともなかった。

仲の良かった友人ともクラスが変わり、好きな女子も違うクラスだったので、学校へ何の為に通ってるのか、だんだんわからなくなって、いつも放課後が待ち通しかった。

僕がいたのはいわゆる落ちこぼれクラスってやつだろうか。問題児が多く、先生も熱心ではなかった。

そんな風だったので朝にはちゃんと家を出て、登校するのだけど、ゲームソフトやゲーム雑誌の発売日には午後からサボるのが日常となっていった。
体育祭や文化祭の日には、親が出掛けている友人の家にいってゲームをしていた。
だから、学校行事に写っている写真も少なかった。

その頃から一緒に遊ぶ時間が減っていた友達がいた。それは山ちゃんだった。就職組で先の事など深く考えもせずに、毎日ひたすらゲームに浸っていた僕とは違い、彼は進学組で大学受験のためにちゃんと勉強をしていたのだ。

山ちゃんは、友人達の中でも特に長いつきあいで、残っている記憶で一番古いのは小学一年生と時。

小学生の頃、僕は背が低くて背の順で並ぶといつも一番前になった。山ちゃんと僕は違うクラスだったが、彼も背が低かったのでクラス合同の授業ではいつも隣同士になった。

だから運動会では同じ列で一緒に走ることが多かった。
勝敗の結果は覚えていないが、僕は山ちゃんにライバル心を抱いていて、子供心に負けたくないなと思い何かと競いあった。

小学校の頃はクラスが違うこともあり、それほど親しくはなかったのだけど、中学生になってから漫画やアニメの趣味があうことがわかり、PCエンジンを持っていたことがきっかけでよく一緒に遊ぶようになっていった。

高校3年になり、受験勉強の合間にアルバイトもこなす山ちゃんと、いつまでも友達とつるんで遊び呆けている僕。差がありすぎて小学校の頃に抱いたライバル心も完全に消え失せていた。

就職を決める時期がやってきても、僕は危機感のない状態で、いくつかの求人書類の中に近くの電気屋チェーンの入社面接があったので「これでいいかな」程度に考えていた。

夏休みになりスーパーファミコンの発売が近づいてくるとゲーム熱はさらに加速し、僕はさらにゲームの世界に没頭した。

高校3年の二学期、山ちゃんと僕は学校で顔を会わす程度になっていたが、廊下ですれ違う時には、必ずお互い手をあげてパーンと叩きあった。それがいつもの二人の挨拶だった。

3.僕はスーファミが欲しかったわけじゃない。

1.僕はファミコンを買ってもらえなかった。


これまで、何本かの格闘ゲームに携わらせてもらったのですが、その中でも思い出深いタイトルの開発の話と、私がゲーム業界に入るきっかけをくれた友人達の話です。
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80年代、小学生男子の話題と言えばファミコン一色。
ファミコンを買ってもらえなかった僕は、集まってゲームの話をしている同級生が羨ましくてしょうがなかった。

毎月15日に買ってもらえるコロコロコミックのゲームの記事を何度も何度も読み返して、新作ゲーム情報や攻略法だけはすごく詳しい、でも遊んだことはない。そんな小学校時代を過ごす。

中学生になってもファミコンは買ってもらえなくて、たまに町外れのボーリング場のゲームコーナーへ行って、少ない小遣いをアーケードゲームにつぎ込んだ。置いてあるゲームは古い物だったけれど、それでも夢中になった。

たまには週末に電車で30分くらいかけてデパートの屋上のゲームセンターへと足を運んだ。
そこにはワンダーモモに妖怪道中記、ストリートファイターといったゲームが続々と入って来て、子供一人で行ける場所では唯一新作ゲームが遊べる特別な場所だった。
特にRtypeというシューティングゲームにはまりずいぶんと遊び込んだ。

とはいえ、僕にとってゲームは身近にない特別な存在だったので、どちらかと言えば漫画やアニメにのめり込んでいく。
ただ、あの頃は、ビーバップハイスクールを読んでる連中が、聖闘士星矢のアニメを見てる連中をいじめるという構図があって、アニメ好きと言うのはあまり自慢できる趣味ではなかった。
ビーバップ勢は、本気で鼻に鉛筆つっこんでくるような連中だったからマジで怖かった。
そういうわけで、中学の時はアニメ好きをあまり表に出さず、テニス部に入りそれなりに健全な学校生活を過ごした。

そして、高校一年生。
ちょっとお金持ちの友人の家で遊ばせてもらったPCエンジンのRTypeに衝撃を受け、貯めていた小遣いを持ってその日の内に買いに走った。

ゲーム機を手に入れてからの日々はもうゲーム三昧。
部活もやらず、自由な時間は全部ゲームをしていたか、漫画アニメを見ていたかのどちらか。

同じくPCエンジンを持っている同級生とゲームの貸し借りをするうちに、同じ趣味の友人が集まるようになる。
僕の家の離れ小屋が遊び部屋に解放してあって、持ち寄ったゲームや漫画がずらり。僕がいようがいまいがおかまいなしに友人達がやってきて毎日かかさずゲーム漫画ゲーム。

PCエンジンは初期にソフトが少なくて、なんでもいいからゲームが欲しいからと買ってしまった遊々人生から始まり皆でとにかく集めまくった。特に対戦や多人数でやるゲームが多くて、パワーテニス、ファイアープロレスリング、桃鉄等々、はまったタイトルをあげるときりがない。

集まると必ず遊んだのがモトローダー。このゲーム、最初のステージでほぼその後の結果が決まってしまうのだが、みんなノーミスでクリアしてしまうので、ゴール直前でわざとスピードを落として、画面端からワープするテクニックで逆転を狙ったりととにかく熱い。

ディープブルー海底神話というシューティングは、敵が突進しかして来ないゲームで、クリア不可能ではないかと思う難易度。みんなクソゲーだとわかっていたが、その理不尽な難易度が逆に楽しくて、どのステージまで行けるかを競いあった。とにかくどんなゲームだろうが、遊び方を見つけてとことん遊び倒した。

PCエンジンとメガドライブは友達とソフトの持ち寄りをしていたので初期のソフトはすべてプレイしていたと思う。ROMROMやメガCDも当然のように持っていたし、
修学旅行にさえPCエンジンを持ち込んだ。

家でゲームに遊び疲れると、息抜きにボーリング場のゲームコーナーへ遊びに行く。
当時はゴールデンアックスやファイナルファイトといったベルトアクションが流行っていて、ソドムをはめ殺したりデスアダーをはめ殺したりして誰が一番先に1コインでクリアするかをやはり競いあう。

子供の頃、ファミコンを買ってもらえなかった反動だろうか、
僕はとり憑かれたようにゲームにのめり込んでいった。

2.僕は卒業アルバムに写真が載っていない